ジェット中島生い立ち-2(少年時代編)

Self-introduction Work

少年時代

前回からの続き

ジェット中島生い立ち-1(出産編)

 

埼玉県・北本市に引越した最初の日の事は今でも覚えている。

市の形がうさぎのような形をしていて、当時は人口8万人くらいの田舎町であった。

地理的にはJR高崎線・大宮駅と熊谷駅の中間にあり、池袋までは快速の電車で40分くらいのところに位置している。

また、免許センターがある鴻巣市の隣町にあったおかで、20歳をすぎて県民でもやっと知るくらいの小さな町だった。

 

公団のグレイで無機質、そして画一的な2LDKのアパートでは自然と溶け合うという感覚が無かった。

それに比べて、新しい4LDKのアパートでは

目の前は水田、隣は森という自然に囲まれた環境だった。

船橋の時は遠くまで行かないと畑や森が無かったのに、

ここでは目の前の水田に行けば、いつでもおたまじゃくしやヤゴに会える。

そして、一歩森に踏み込めば蚊に刺される代償と引き換えに

カブトムシやクワガタのお土産が取れた。

当時はいつも虫取り網を持って外に出ていた

初日は自分の小さい足で探検して疲れ果てた体に、

前のアパートよりも一回り大きい風呂で泥を落とした。

 

そして、2階にある両親の寝室である畳の部屋で家族4人川の字になり、床についた。

 

 

5年程前に売ってしまった当時住んでいた家:グーグルマップより

 

今までは寝る時の音を意識したことは無かったのに、

新しい家ではカエルの「ゲコッ、ゲコッ」という音がオーケストラのように絶え間なく聞こえていた。

 

寝室から差し込む月明かりとカエルの鳴き声が非常に印象的だった。

 

そしてそんな興奮の中で引越し初夜は終え、翌日から北本市立東小学校に入学することになる。


今でも自分で意識して改善しなきゃいけない事がある。

 

それは前の環境との比較だ。

 

比較自体は悪くないのだが、それを口にだして「前はこうだったのに」というと周りの人間は興ざめしてしまう。

 

子供心はそんな事が分からずに、船橋時代の事を口に出してしまい、周りとは馴染めなかった。

自分自身なそんな気は無かったのだが、周りからはいつも

中島くんはいつも自慢ばかりする」と言われはじき者にされていた。

 

小学校時代に同級生内で本当の意味での友達といえる人間はいなかった。

上記は運動会の様子、ここでも友達はいなかった

 

だからいつも遊んでいたのは2つ年上のヒロ君と1つ年上のカズ君という3人だった。

私は上記のヒロくんと被るので、たけちゃんと小さい頃は呼ばれていた。

 

ヒロ君の顔はキン肉マンに出てくるテリーマンのようなアメリカナイズされた顔で

カズ君はナインティナインの岡村隆史のようなひょうきんさが入り混じった顔だった。

 

ヒロ君の家の外からでも覗けて、

書道の時間に書いた「やまびこ」の掛け軸が飾られていた。

 

そして、当時は大変珍しかったファミコンディスクシステムが唯一置いてあった家だったので、スーパーマリオ2をやりたくてよく通っていた。

 

外から掛け軸が見える時は家にいて、見えない時は留守だったので

窓越しに見える風景でピンポンを押していた。

 

そしてカズ君の家は大きな庭が特徴的で遊びにいくと、

その広い庭の縁側からよく出迎えてくれた。

キレイなお姉さんがいて、そのお姉さんに会える時は毎回嬉しくなっていた。

 

本当にこの3人でいつもファミコンをやったり、外に遊びに出かけたり、ちびっこの悪さをしたりしていた。

 

そして何かのきっかけで空手をやりたいと思うようになり、

小学校2年中頃からはヒロ君を誘い、毎週水曜日の夕方は練習に費やすようになった。

 

これが私が初めて触れた格闘技であった。

ここと出会ってしまったのは過ちでもあり、収穫でもあった。

 

過ちというのは、これを習った事で自分の中での強引さが強くなってしまった事。

今でも押し切れそうに思えることは強引さをもって事に当たるが、

それは空手を習うことで元来備わっていた危険分子がより加速されてしまったから。

 

そして、この性格と拳を出すという特性を空手により習ってしまうことで

学校では周りの人間を傷つけてしまうことになる。

 

カーッとなるとすぐに手を出してしまい、

クラスにいたガキ大将みたいに威張り散らしている人間とは特に馬が合わずに

鼻血を出すまで泣くまで殴って蹴ってしまっていた。

 

空手が悪いのではなく、自分を制御出来ない精神が悪かった。

 

中学2年生くらいまではこの性格が続き、

親が学校に呼び出されるということも何回も経験した。

 

今ではこんな事は赤面の対象にしかならないが

、当時は自分が蹴って上履きのソールの跡がついた相手の顔を見ても、

「なんでオレが謝らなくてはいけないんだ。すべてはこいつが悪いんだ」と思っていた。

 

学校に呼び出されて相手の顔を見た親はハッとなり、

ただ平謝りを繰り返していた。

 

相手の親に「どんな教育をしているんですか?」と言われた時も、

「申し訳ありません」を繰り返すばかりで毎回親の顔を潰していた。

 

ある日、そんな自分の行動を見かねた母親からこんな事を言われた事がある。

 

母親

「あなたがもし周りの人を傷つけ続けるんだったら、

いつかあなたと一緒に電車に惹かれて死ぬわ。」

 

母親は私がした事をそれくらい恥じていた。

 

クラスの中には話したりして、一見すると仲が良さそうな人も何人かいたが、結局友達といえる人間は同じ学年には作れなかった。

 

やがて2個上のヒロ君は中学に進学し、その一年後にカズ君も中学に進学すると遊ぶ友達は徐々に減っていった。

 

それもこれも私がすぐにカッとなり殴ったり蹴ったりするので、

みんなはみ出しものを受け入れてくれなかったから。

 

こんなに大きなマイナスも抱えながらも、空手を習ったのは良かったと思っている。

 

小さい頃は色々な習い事をした、ピアノ、算盤、習字、そして、オレがやっていたのはコミカルにしか感じないバレエと。

 

どれもこれも自分でやりたいと行ってやったものではなくやらされた物で、空手だけが興味本位で自分から始めたいと言って始めたから。

 

これが闘争本能を植え付けてくれた。

 

ただ、少し後悔が残っている。

 

中学入学と同時にやめてしまったこと。

もっと続けて、せめて黒帯が取れるくらいまで継続しておきたかった。

 

梶原一騎が原作のプロレス・スーパースター列伝から影響を受け

プロレスが好きになり、小学校の文集にも将来の夢はプロレスラーと書いてあって

自分の夢が実現出来たかも知れなかったから。

 


話しを若干ズラす。

今でもプロレス・格闘技は好きだが、これは完全にプロレススーパースター列伝の影響だ。

 

母方の祖母と知り合いの家に遊びに行った時に、大人の話しにはほとほと退屈しており

その家に置いてあった、上記列伝のスタン・ハンセン編を見た時に胸がシビれた。

 

プロレスラーのスタン・ハンセンはドラム缶を両腕で握りつぶしてしまうくらいの腕力があり常人離れした強さを感じたから。

 

 

今でこそネットでググれば何でも調べられるが、

私の子供の頃の80年代はTV、新聞、書籍が情報媒体として圧倒的な信頼性を持っていた。

 

当時プロレスに関する記事もそこまで無く、

本に書かれている事は全て本当だと思っていた少年に取って、

ドラム缶を潰す描写は衝撃だった。

 

今でこそ真実と虚飾を織り交ぜた描写というのは理解しているが、当時はウブだった。

 

上記の影響なのか、今でもTVで見るスター達はルックスも含めて普通じゃない人を好きになる傾向がある。

 

ボクシングだとマイク・タイソン

サッカーだとロナウジーニョ

ヒップポップだと2pac等・・・

 

そして、自分自身も普通じゃないことを好む傾向がある。

 

話しを戻すと、小学校の頃はスタン・ハンセンの影響でプロレスが好きになり、

当時、土曜日の夕方やっていた新日本プロレスと

日曜の深夜やっていた全日本プロレスは、ビデオが擦り切れるくらいみていた。

 

そして、当時ターザン山本氏が編集長を務めていた週刊プロレスは小学生で読める字面はとにかく全て置い、プロレスの事、プロレスラーの事、技名の事をすべてノートを作り記載していた。

 

技名と法則性がある時はそれを書き出して、人気選手の得意技はすべて書き記していった。

 

学校ではまともに先生の話しを聞いていなかった

・・・というよりは集中力が散漫で聞けなった。

 

不思議と、プロレス実況者の話しだけは映像と共に頭に入っていった。

 

・雀百まで踊り忘れず

・合わせ鏡の闘い模様

・百花繚乱の宴

・彼を知り己を知れば百戦殆うからず

 

古舘伊知郎氏、倉持隆夫氏、福沢ジャストミート朗氏、辻よしなり氏が発してくれた言葉のおかげで、難しい言葉も覚えることが出来た。

 

これが日常生活の中でどれくらい使うかは分からないが、プロレス実況者は私に国語を教えてくれた先生だった。

 

中学入学前くらいまでは本当にプロレスに没頭していった。

勉強は後ろから数えて1,2番目くらいだったが、好きな事には時間を忘れてハマっていた。

 

ただし、このプロレスに捧げていた熱も急速にしぼんでいくことになる。

 

前述した、友達に暴力を振るってしまう生活はプロレスのような低俗なメディアを見ているからだと、今まで撮り溜めていたビデオとプロレスノートも全部捨てられてしまったから。

 

友達がいなかったのでいつもTVの中の強くて若くて凄いやつに見入っていたが

それも出来なくなり、やがては現実の世界を見ることとなる。

 

ちょうど中学入学と同じ頃のタイミングだった。

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