ジェット中島生い立ち-4.1(高校・前半編)

Self-introduction Work

前回からの続き

ジェット中島生い立ち-1(出産編)

 

ジェット中島生い立ち-2(少年時代編)

ジェット中島生い立ち-3(中学編)

 

高校時代

いよいよドラマでよく見る学園生活のスタートだ。

自由と恋愛を享受出来る夢のような生活が始まる。

 

希望を胸に抱いて始まったが高校生活だったが、私のイメージとは全く違う物となった。

 

私が入った秀明英光高校は埼玉県上尾市というところにある私立の高校だった。

 

上尾と言えばお笑い芸人のハライチや、

「あなたのキスを数えましょうで」一時期ブレイクした小柳ゆきの出身地だ。

 

ここは川越の秀明高校や、千葉の八千代秀明高校を姉妹校に持つ学校で

創立者の意向で校則は厳しく、毎月頭髪検査とかが実施されるような学校だった。

創立者の意図が色濃く反映され、東大生を何人も輩出している秀明高校と比べ、ここには半端者が集まる学校だった。

良い子ではない子が集まっているが、かといってワルが集まる学校でも無い。


辻よしなりさんの言葉を借りると、

元nWoメンバーで、グループ脱退後はWCWに所属を移しながらも、

「Stop the WCW」のTシャツを着て、脱退したnWo Japanに混じりを正規軍との抗争を繰り広げております。

このマイケル・ウォールストリート、まさに中途半端な男であります。

 

 

マイケル・ウォールストリートのようなメンバーが集まった集団だった。

 

高校受験の形には単願併願があり、多くの人は併願でここを受けていた。

 

周りの人間に聞くと皆行きたかった公立高校があったが、

そこに落ちて、ここにきたという答えだった。

 

英国に触れてみたいという動機で入った私は、

単願で入ったなどと恥ずかしくて言えなかった。

 

そのため、入学した時は教室内の雰囲気も暗く、

やる気に溢れている人は少なかった。

 

1クラス45人、13クラスで1学年計700人近くいたが、

暗いグレイの外と相重なって、3フロアに分かれた生徒の空気は重かった。

 

形としては男女共学だが、基本は男子と女子でクラスが分かれており

混合クラスは進学コースの1クラスのみだった。

 

我々の校舎は

    • 1F:受付、下駄箱、多目的室
    • 2F:1組:進学コース、2〜4組:女子クラス
    • 3F:3年生のクラス(一部)
    • 4F:10〜13組
    • 5F:5〜9組

という構成だった。

 

女っ気も無く、中学の方がまだ華やかと思える雰囲気だった。

 

先生達だけは厳しい指導を実行するというポリシーの基、

頭髪検査、持ち物検査、女子の場合は化粧検査、スカートの丈検査等を行い、

生徒と学校の間では意識の乖離が生まれていた。

 

この高校三年間の生活は私の外向きな部分と、

内向きな部分を良くも悪くも醸成していった。

 

英国に行きたいという希望は叶えられたが、

自分を主張したり、クローズドの環境で生活する事で内向的な性格は助長されてしまった。

 

主体性を持って生きていれば、こんな事で影響されることはないのだが

違う高校にいくまさっちとは疎遠になり、みとちゃんとは週末だけしか会わなくなり

この時は高校という環境にもろに影響を受けていた。

 

しかしながら、面白い取り組みもいくつかあった。

 

  • 英国侯爵夫人のマークス寿子さんの講演会
  • 武蔵丸関を読んだ学園祭
  • 裏千家による茶道の授業

 

特に茶道の授業では心が洗われるのと同時に茶菓子が食べれる欲求も満たせて、

今のモンケープのマインドセット(理性と感情)を作れた。

 

そして、忘れられない6週間の英国研修が1年生の終わりに開催された。


 

 

英国研修

 

1996年の3月の頭、私は母親と成田の日航ホテルにいた。

白いシートがピーンと上品に張り詰めたふかふかベッドの上で読んでいたのは

地球の歩き方・・・ではなく、母親から手渡された一冊の本だった。

 

元来読書は好きではなかったが、出発前に大英帝国について広く浅く学ぶため、

女性作家の語りかけるような口調で書かれた本には、熱心に読み入いってしまった。

本のタイトルも忘れてしまったし、内容も頭の中からほとんど喪失してしまった。

だけど、

 

イギリスでは・・・

  • 鼻をすすってはいけない
  • 鼻をかむ時は片方の手で噛む

 

という事を気をつけなければいけないと書いてあったのを覚えている。

 

  • レディーファーストを心がける
  • 次の人の為に扉を押さえておく、多少距離があっても待って押さえ続ける

というのは先生達から事前の研修説明会で聞いていたが、

もっとミクロな話しでのマナーは聞いていなかった。

 

そのため、ここに書いてある事は非常に有用で使い続けられる情報となった。

 

そして、その朝ホテルのビュッフェで食事を取っていると

今日のフライトの為に前乗りした女子同級生がちらほらいた。

 

その時は女子に話し掛けるのも大変な勇気が必要だったが

その気概は私には無かった。

 

会話も交わすことなく観察だけをして、そそくさと自分の席に戻り朝食を済ませた。

 

成田空港に向かうと学生服を来ている同級生は見つけるのが簡単で

待ち合わせ場所はすぐに分かった。

 

クラスごとに整列をさせられた後は、

「Economy」と書かれ自分ではない名前が記載された航空券を手渡された。

 

先生、これオレのじゃなんですけど」と伝えるも

大勢の人間がいるため先生も学校で買っているどこかの席に座れば良い

という事で、別の人の名前でチェックインまで進むことに。

 

このプログラムには1学年の内の20%程の人間が希望制で参加する。

 

人数が多いため2グループに分けられる。

前半は1月半ばから3月頭まで、後半は3月頭から4月中頃までとなる。

 

我々は後半グループなのだが、

見て分かる通り1年生と2年生の期間をまたいで研修を行った。

 

一般的にはクラスごとでどちらかに振り分けられる。

しかし、何人かは都合上、同クラスと参加出来なくなり、

クラスメートがいないグループに合流する。

 

飛行機への搭乗後に隣に座ったのはそんな事情を抱える人間だった。

 

ちょうど前には誰もいなく足が伸ばせる席で

私の左隣は柔道部の大型の渡辺右隣は柔道部の細身の桜井という構成だった。

 

彼らは柔道の大会があって、本来であれば前半に行く予定が後半への合流となった。

渡辺は体は大きいのに肘掛けに小さく腕を置くのに対し

細身の桜井は元来持っている図々しい性格故に、

がっつり左腕を肘掛けに乗せるおかげで、

腕を置くスペースがほとんど無かったのを覚えている。

 

成田からヒースロー空港への旅は長く、

席を立って同級生と話しをしたりして時間つぶしに苦労した。

 

そして、みんな中々眠れなかった為、いろんな会話をして分からない事を先生やスチュワーデスのお姉さんに聞いていた。

 

今と違い携帯カメラもデジカメもまだ無い時代に主流だったのは、インスタントカメラ巻取り式のカメラだった。

 

あまりカメラに興味の無い私は、

インスタントカメラでかさばるのは嫌だったけど

巻取り式のカメラのやり方が分からなかったので、

APSというタイプのカメラを持っていた。

英国で沢山写真を撮るためにフィルムを沢山持っていたが、

X線を通してしまうとこの当時はフィルムがダメになってしまい、

X線を通さないフィルムバッグがあった。

 

スーツケース内のフィルムを、X線を通さないバッグに入れて無いことを思い出し

スチュワーデスのお姉さんに聞いたりしていた。

1996年当時はこういう袋に入れてフィルムをX線検査から守っていた

 

そして、長時間のフライトが終わりを告げる頃、見えてきたイギリスの風景は美しかった。

 

歴史を重んじるこの国では周りの風景との同化を良しとし、

赤茶色のレンガ屋根が広がる家々が工業化された環境から脱出を予感させてくれた。

Photo by William Hook on Unsplash




 

イギリス到着後

 

ヒースロー空港から、バスに乗りイギリス南東部のKENT州という場所に学校はあった。

窓から見える田園風景と緑の土地に白く点々として見える羊の群れは、のどかだった。

 

6週間の研修プログラムでは、3週間づつのホームステイと寮生活になっている。

私は前半をホームステイで、通っていた学校に自分のスーツケースを共に到着すると

ホストファミリー達はもう到着していた。

 

自分の名前を呼ばれホストファミリーのもとへいき対面をした。

Whiteさんという160cmくらいの小柄なお父さんが出迎えてくれて、最初の挨拶をすませた。

 

「Hello, Hirotake! We will bring your suitcase」

 

最初の会話からもう普段と違う本場のSuitcaseの発音に戸惑った。

「スーツケース」ではなく、 /ˈsuːtˌkeɪs/ だった

 

そして、車で3分くらいの家に向かった。

前庭が広く、道路から一段坂のように上がった芝生の先に大きな家があった。

 

まずは、家族を紹介してもらった。

 

ホストマザーである:Mrs. White

そして2人姉妹

  • Amanda(アマンダ) : 20歳、しっかりした美人のお姉さん。細身の肩くらいまでの金髪。雑貨店で勤務
  • Lindsay(リンゼー):16歳、私と同じ年。細身で腰くらいまでの茶髪でひょうきんで可愛らしかった。いつも制服で出かける姿はアニメに出てくるような美少女という感じだった。

 

アメリカと違いイギリスは伝統を重んじる国だったので、

ホストファミリーを下の名前で呼ぶ事はなく、

Mr. White, Mrs. Whiteで呼び、

年が近いアマンダとリンゼーはその名で呼んでいた。

 

家族との対面の後は、家庭内ルールを教えてもらい自分の部屋に向かった。

 

4畳半より小さいゲストルームとして取ってある部屋には、

ベッドと小さい机があるだけだったが、

道路に面した部屋から見える窓の景色は美しかった。



そして、24時間の間で人生で初めて味わう変化を噛み締めその日は休んだ。

 

と言っても、時差ボケでほとんど眠れなかったが。



ぼーっとした頭を抱え、翌日からは授業が始まる為、

アマンダに学校まで一緒に歩いてもらい通学路を進んだ。

 

夢にまでみた英国、憧れたビートルズが育った国、髪も肌の色も違う人達との生活・・・

 

6週間の生活に夢を馳せていたが、いよいよこれが現実の物となった。

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