なぜ新規ビジネスに設計のオフショアを選んだのか?

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人生を情熱的に刺激的に荒々しくジェット中島です。

本日はお盆真っ盛りです。ニュースによると一部地域では40°まで気温が上がったとの事で熱中症にきを付けなながら仕事をしています。

1991年の8月11日は新日本プロレスのG1クライマックス決勝戦があった日です。

これについては感動と驚きの中に語り出したい事が多々あるのですが、本題とは大きくズレそうなので止めておきます。

興味ある方はこちらからご覧ください。


バイオレント・ストームIN国技館 1991年8月11日 両国国技館 

武藤敬司 VS 蝶野正洋

https://njpwworld.com/p/s_series_00102_1_1

ということで、本日のタイトルですがこちらです。

なぜ新規ビジネスに設計のオフショアを選んだのか?

私は12年間オフィスを主とした内装業界のビジネスに携わり、そこで色々な事をしてまいりました。

 

・図面作成

・デザイン請負

・工事ならびに工事手配

・英語⇔日本語への翻訳業務

・ゲームメーカーへのモデリングサービス

・プロジェクトマネジメントサービス

・オフショアのデザイン作成



様々やった中でオフショアによるデザイン作成が、我々モンケープが進むべき道に一番近いと思ってえらびました。



「オフショアによるデザイン作成って何?」って方は下記を参照ください。http://moncape.com/services/cg-perspective-animation-vr-designmsg/

 

簡単に言うとデザイナーはデザインを考えるだけに注力してもらって、考えた後の清書は我々でやりますよって事です。

清書っていうのはこういうことね

↑こちらが自分で考えたプラン

↑こちらは清書した案

202x建築テクノロジー」:日経アーキテクチャアによると、2020年から2030年までの住宅着工数は3万弱とほぼ横ばいなのに対して、現存する一級建築士の数は25万人から18万人へと30%程減少すると予測されている。

住宅業界でこういう状況だからオフィスへのしわ寄せも今後10年間で大きく出ると予想されている。上記のデータは2019年の物なので、コロナの状況で少しは変わってくるかもしれないが、いずれにしよ建築士の数が減少してくることは明白だ。

その中で受け皿になっていく業態を作らないと日本が停滞してしまう。

社会的な意義が大きいと思ったのもこれを選んだ理由の一つだった。

ただし、実はこのオフショアのビジネス自体は前職では一番毛嫌いしていたビジネスだった。

前職ではベトナムビジネス拠点を0から立ち上げ

  • オフショア部隊
  • 現地プロジェクト部隊

を作っていった。

その中でダイナミックに動いていく「現地プロジェクト部隊」に比べて「オフショア部隊」は地味で、且つ文化系の部活みたいなイメージだった。

サラリーマン時代は会社にこれを分社化して、別事業にしてゆくゆくは縮小していくような構想も描き実際に本社への提案もしていた。

しかし、現在は全く違う意見を持って取り組んでいる。

それを伝える為には一つ一つ紐解いていかないと行けないが、省かずに説明していきたい。


一番最初私がベトナムに行った時は、会社の成長期だった。

営業の人間が仕事を取ってくるのに日本本社はデザイナー不足に悩まされ、他社だったら3日〜5日ほどで終わる業務を10日以上掛けてやっていた。

スピード感では圧倒的に遅れを取っていたが、営業の人が顧客との信頼を保ってくれてなんとか業務を続けられているという状況だった。

日本側でもデザイナーの募集を掛けているが、採用もうまく行かないから連日連夜終電で帰るという始末だった。

この頃は私のアラサー世代で体力もあったがキツかったのを覚えている。

休みも無く働いているのに、営業からのプレッシャーは強く、その中で彼らが期待するような画が毎回描ける訳ではなかった。

当時、北海道の彼女と遠距離恋愛をしていて月一で向こうが来るかこちらが行くかだったが、この楽しみがなければ乗り越えられなかっただろうというくらい会社内では心の逃げ場が無かった。

そのため、それを改善する為にトップの人間は海外での拠点探しに目を付けていた。

 私自身は2011年の7月に現地に赴任しているが、実は前年に設計デザイン部の部長と当時の社長が視察に行っていた。

当時は自分がベトナムに赴任するなんて思っていないから、ベトナム視察レポートに対しても関心も持っていなかったが、電線の酷さの部分だけはやけに印象に残っていた。

日本だとありえないように電線がカオスに入り組んだ写真を見て、こんな国に行くとなったら大変だなと思っていた。

そして、2011年の5月の頭に一度社長に呼び出された。

悪い事をやった覚えも無かったので「なんでだろう?」という疑問を持ちつつ、面談に臨んだ。

すると

中島さー、今度ベトナムに視察に行くんだけど一緒に来て欲しい

向こういって何をやればいいんですか?通訳かなんかやるのに同行するんですか?

いや、違う。今本格的に現地でのオフショア拠点の設立を考えていて今度一緒に同行して欲しい。

はい?

実はお前に行ってもらって、現地での立ち上げをやって欲しい。7月頭には立ち上げしたいから、これを見て最終的に決めて欲しい

この現地視察の要請があったのが2011年の5月頭、そして視察が5月20日頃、そして7月にはベトナムに行けと・・・

 

うーん、このスピード感しびれる!

 

と当時の私は思った。

 

最終的には見てから決めてくれと言われたが、半ば強制だったw

でも私も日本での仕事にはこの時は疲れていたからそれが合っていた。

 

そして、現地に行くと自分の想像以上に発展している街並みを見て、

 

オレに選択肢はYESしかないな」と思い、視察中に決断をした。

 

 

それからは早く、日本に戻ったらすぐにアパートの解約をして、家具を粗大ごみとして引き取ってもらいベトナムへ向かう体制を整えた。

 

この1ヶ月間も怒涛のように出国の準備を進めていった。

 

・ベトナム大使館への申請手続き

・観光ビザの取得

・ワクチンの摂取

・持ち込む資料のまとめ

 

そういえば、現地では人材採用もするからと言って日本国内では人事の人の面接にも沢山同席させてもらった。

 

そんな事をしていたら7月が来て、ベトナムに入国をした。

 

↑今思いだすと面白い体験が多々あったから、これはNOTEで小説風に書いていきたい・・

 

オフショアをやるきっかけについて全然書けなかったので、次回は本編として書いて行こう。

 

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