2011年4月には余震の影響は大分収まったが、我々の生活は「自粛」という名の停滞ムードが溢れかえっていた。贅沢をしては行けない、遊んではいけないと何か戦時中かのような日常でのつまらなさを感じた。
そしていつもように東日本橋の事務所に行き、営業マネージャに呼ばれ打合せに入ろうとすると、面白いタイトルの本が置いてあった。
「技術バカに未来は無い!」
大分刺激的なタイトルだったので、当時営業でGM(GENERAL MANAGER=本部長)をしていた原さんに尋ねてみた。
ジェット
「面白いタイトルの本ですね、何ですか?それ?」
するとすぐに答えてくれた。
原さん
「あー、これね。お客さんからもらったんだよ。IT会社の社長が書いた本なんだけど、俺らみたいなベンチャーって毎日成長の為に、危機感を持って仕事に取り組まなきゃいけないんだけど、それがダイレクトで伝わってくる本だよ」
ジェット
「面白そう・・・借りても良いですか?」
原さん
「もちろん、今読んでいるところだから終わったら貸すよ」
とその日の業務の打合せの内容は覚えていないが、会話だけは覚えている。
この原GMは今思い返しても本当に仕事が出来る人だった。
年はオレと同じで当時30歳なのに抜群の安定感があった。この人がやれば大変な案件もなんとかしてくれるだろうという安心感と、引き締まった表情で的確に物事を伝えるのがうまかった。
当時オレは設計デザイン部という所にいて部署は違うが、会社が小さいせいか交わる機会も多く同じ年なのにこんな出来るんだという事で敬意をいただいていた。
今でも覚えているが、オレが入社した時に一番最初にデザイナーとして全プロセスを任された案件は「Force Solution」という案件だった。
これは原部長と一緒に組ませてもらい、現場調査から打合せからプレゼンまで全てを一緒にやらせてもらった。
その際にお客さんへの説明の仕方、問題の解決の方法、信頼の得られ方を間近で見て「本当にお見事だな」と関心させられた。
初めての専属担当案件、そしてその舞台は大手町にある大手町ファーストスクエアビルという、立地も建物も両方とも素晴らしかったので自然と胸は高まった。
外観
オフィスロビー
このプロジェクトではオレも自分の能力以上の仕事が出来、原さんのおかげでそこを補えて本当に良いプロジェクトになった
・・・オレの1つの大ミス以外は。
我々はオフィスのデザインをしていたので、共有スペースから受付に入る時は壁に会社のロゴを貼り付ける
例えばGoogleのオフィスだとこのようにだ。
*参照元:Bloomberg
そして、その時オレは教科書的な判断で取付位置をセットしてしまい、結果デザインを壊してしまった。
そう、通常だと取付位置は160〜170cmの高さが中心に来るように取付るのだが、この時は153cmで取り付けてしまった。
インテリア・デザインというのは人体工学に基づいて設計をする。
身長に対しての目線の高さは90%、つまり身長170cmの人だったら153cmが眼高になる。
学校で学んだ通りにオレはこれをそのまま実案件で使った。そうすると理論的にはちょうど良いはずなのにしっくり来ない。それもそのはずサインボードと文字が別になった物で、ロゴの文字は目線よりも遥かに低い位置にあったから
それに気がついたのは職人さんが取付を終えて、現場に戻って来た後だった。
目線をあわせなくては行けない文字の高さが140cmになっている。これはいくらなんでも低すぎる。
やり直しすれば良いじゃないかと思われるが、サインが設置された壁も特殊な物を使っておりそれは叶わなかった。
そのミスをした後に原さんと話しをした。
原さん
「中島(なかしま)さあ、覚えておいて欲しいんだよね。」
九州出身の原さんはいつもオレの名前を濁らずにこう呼んだ。
「教科書的な判断で物事を決めて行くのは大事かもしれないんだけど、現場を見て判断しないと良い物は作れないよ。
エントランスのサインはオフィスの顔になる部分だから一番大事な部分なんだ。
オレはそこの大事な部分をお前を信頼して任せた。
毎日現場に来いとは言わない、だけどデザインに関わる重要箇所の取付の際には、しっかり現場に来てそれが本当に良い物になっているか判断して最終決定してくれ。」
教科書的な基準は大事だが、それよりも必要なのは現場を知ること。
これは内装業界に入ってから常日頃言われ続けてオレ自身も全くその通りだと感じている事。
間違った後に手直しが出来る場合もあるが、手直しで掛かる追加費用もばかにならない。
商売の原則である儲けが少なくなってしまうデザイナーに価値はない。
この時は顧客先の社長の身長が160cmと低い事もあって、クレームも無く最終的には終わった。
しかしながら、オレ自身は画竜点睛を欠いてしまった事で大きな傷跡を残してしまった。
それからと言うもの営業的な目線も持って活動するようになり、原さんとの距離が近くなっていった。
でも近くなればなるほど、自分の経験と能力不足浮き彫りになってきた。
悲しい事にそれはデザイナーとしての能力というよりも物事をクローズする能力=ビジネスマンとしての資質だった。
だから、オレはこの頃は必死で成長出来るように努力した。
まずは周りの良いお手本をパクリ、学び、そして自分の物にしていきたいと強い願望をいただき続けていた。
原さんは社内ではうってつけのお手本の一人だった。
だからその人が読んでいる本はオレも読み、良いと行ったデバイスは使うようにしていった。
その頃の自分はビジネスマンとして未熟過ぎたから、マネをすることで未熟なピースを埋めようと必死だった。
知識についてはもっと学びを増やしたい切望し、打合せから3日経った日にようやくその本は借りることが出来た。
その本の内容は当時のオレには大変刺激的であり、衝撃的であった。
ドーンと雷が落ちるような感覚を受けた
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