海外駐在員の心構え-1|導入編

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人生を情熱的に刺激的に荒々しくジェット中島です。

またの名をベトナムのブルーザー・ブロディ・・・と呼んでくれ。

 

↑ブロディ

 

今日はほうじ茶が飲めるカフェからのスタート

ベトナムだと日本で当たり前に飲めるほうじ茶も無いから

ありがたい。


始めて行こう!

このブログを通して何を書いていけば良いかなと考えた時に

オレが書ける事って結構あることに気がついた

  • 留学生活@イギリス+アメリカ
  • インテリア・デザインの仕事
  • 海外駐在員としての経験
  • 趣味のプロレス

いや、意外と少ないな汗

ただし、このブログでは不真面目なオレの生活をまともに見えるように書いていくのが狙いだ。

だから、上記でオレが1番何が伝えられるだろうと改めて考えた、うん珍しく考えた。

その時に役に立てそうだったのが、「海外駐在員としての経験」だ。

 

その中でもオレが生で学んだ、海外で働く人間としての心構えを伝えていきたい。

 

自己紹介

2011年の7月からベトナムでの生活をスタートした。

本題に入る前にまずオレがどんなところから始めたのか書いていきたい。

ベトナムに来る前は東京でオフィス専門の内装デザイナーとして働いていた。

当時働いていた会社は立ち上げ4年目のベンチャー会社で、イケイケで営業マンが仕事を取ってくるような会社だった。

内装の仕事は

  1. 営業: 仕事を取ってくる
  2. デザイナー: 要望を図面やイメージに落とし込む
  3. 現場 :工事を納期通りに行い完了

というプロセスで進んでいく。

この時抱えていた問題は営業がいくら仕事を取ってきても

デザイナーの採用が追いつかず、デザイン業務にものすごく時間が掛かるという状況が生まれていた。

普通の会社だったら3日で終わる物を、2週間くらい掛けてやるという最悪の状況だった。

さすがにそんな状況だったら、どこかに仕事を流さなきゃいけないという事でベトナム拠点の立ち上げが決まった。

ベトナム進出決定後

決まったと言っても、進出が決まっただけで詳細は一切決まらずに・・・

 

ただ、このノリこそベンチャーだね。

当時の社長の英断が結果的には功を奏した。

 

ベトナムには決まったけど、誰がいく?というのは話し合われずに

2011年の5月の頭に当時の代表にこう言われた。

ベトナム今度視察行くけど来る?ベトナム駐在するのは、それ見てから決めてもらっても良いよ

デザインセンサーの立ち上げなのでデザイナーが管理者になるという事と、海外で生活を出来る者を選抜するという事で意見が固まっていた。

当時は25人くらいしか人がいない中で、留学した事あるヤツとか海外に慣れているやつなんて2〜3人しかいなかった。

 

そんな中で抜けても日本の業務に負担が掛からないヤツなんて

オレくらいしかいなかったから、選ばれたんだ。

卑下しているわけでもなく、客観的にみてこうだったんだ。

 

ちょと悲しいけど、これが現実なんだ・・・

そして、2011年5月後半にベトナム視察の為、ハノイに訪れる事となった。

初めてのハノイ

オレは2008年の3月にアメリカの専門学校を卒業した。

それからするとわずか3年程振りの海外だったが、自分の目に見えるものは全てが新鮮だった。

今まで見てきた世界は先進国が殆どで、東南アジアのような新興国に来たことは無かったから。

そこで感じたのは人が生き生きしている事。

みんな笑顔で楽天的な表情をしている事。

サザエさん症候群が叫ばれ、東京の繁華街でさえ日曜の夜は寂しさが襲う日本とは対照的に、ベトナムは日曜の夜でさえも次の日の事は考えずに、路上でお茶飲みながら佇んでいた。

 

 

↑は参考画像ね。

 

この姿を見た瞬間にもうオレは「よし来よう!」となった。

 

そして、帰国後は急ピッチでベトナムへの生活準備を始める事となった。

 

  • 当時借りていた東京都葛飾区青砥にあったアパートの解約。
  • 家具・家電の処分。
  • 携帯の解約
  • 図らずともこの時期に重なってしまった、遠距離(東京⇔札幌)で付き合っていた彼女との別れ

 

すべてを精算して、2011年7月3日に成田からベトナム・ハノイに飛び立った。

最後に

駐在員の心構えを書こうと思ったら、前フリが長くなりすぎてしまった汗

という事で次回から本題に入るぜ!

乞うご期待!

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