越境BLOG(小説風) Vol.2

Novel Work

前回からの続き

突然のベトナム進出計画の話しをブチ上げられ、しかもその赴任者はオレという事で先日の打ち合わせは終わった。そして、数日後迎えた米田ゼネラルマネージャーと東林(ひがしばやし)マネージャー(MG)の中では、少し具体的な話しを聞かせてくれた。

↑が実際の会議室
(GoogleMAPより転用)

米田GM
「今日はベトナムに行く前の準備について話をしたいと思っている。正直今のままだと中島のスキルはまだまだ期待値には届いていないから、7月に向けてスキルアップをして欲しいと思っている。前回の打合せから東林さんと中島の教育について話をした。今伸ばして欲しいのは製図のスキルソフトのスキル。これを行く前の3ヶ月間でみっちり東林さんの下で指導を受けて、ベトナムでは指導を出来るレベルに持っていって欲しい。」

 

元々具体的に何をやるのか分からないままベトナム行きでは「YES」と答えてしまった。

その時は仕事にも甚だ疲れて切っていたので、何か変えられるチャンスがありそれで役に立てるのであれば何でもよかった。

 

しかしながら、オレがまだ役に立てるレベルに達していなかったから、会社内ではなんとか中島の底上げをしないといけないという事でマネジャー同士で話し合ってくれていた。

 

当時の上長は米田GMであった。

一番最初に入社した際にオレとしては一つの希望を出していた。それは「プレゼンの出来るデザイナー(設計士)」になりたいからそのチャンスが欲しいと。

 

普通の世間一般で思い浮かべるデザイナー像と実際のデザイナーというのは大きくかけ離れている。

大分類だとこのような2つに分けることが出来る

  • クリエイティブデザイナー:アーティスト的
      • 新しい物を想像することに使命を燃やして、新しい技術にチャレンジして客先でもプレゼンを行う。
  • エキスパートデザイナー:職人的
    • 創造的な物をつくるよりも的確に物事をこなすタイプ。職人的に詳細を詰めて外れの無いものを作って行くタイプ

 

世間一般で思われるデザイナーというのは「クリエイティブデザイナー」の方で、デザインセンスの問われる仕事を行っていくタイプだと思う。オレはこっちになりたいと思っており、その為の指導を米田GMがこの1年間くらいはしてくれていた。

 

そのため、案件の引き継ぎをして今では名のしれたレンタルオフィスの設計等を行っていた。本当にこの時期は顧客と直に会い、直にダメ出しをされて、大変な時期だったが、成長が大きく出来た時期であったと思う。

一応当時の部署内での構成も図で示しておく。

 

しかしながら、このプロセスも終わりを告げて次はマネジメントをしていく事を見据えなくてはいけなくなってしまった。

 

そして、その指導が米田GMから東林MGに移る事が告げられた。

 

米田GM
「今後3ヶ月は中島にレイアウトで課題を与えるから、それを東林MGにチェックしてもらって、すべてデジタルで残していくようにしていって!そして、ベトナムに行く時はその指導内容を思い出して教えられるようにして欲しい。」

 

今まで隣に座っていた東林MGが口を開いた。

 

東林MG
「今、中島にはレイアウトを書いてもらっているんだけど、基本的には初回チェックを米田さんにしてもらって、その後は直接と営業とやりとりしているよね?

それを今後はすべてのプロセスを俺がチェックしてどういう所が改善の余地があるかを見ていきたいのね。今まではなんとなくで『良い・悪い』と決めていた部分も論理的に伝えるようにするから、ベトナムのスタッフには論理でしっかり伝えられるようにしていって。」

 

デザインの指導というものは非常に難しい。

なぜなら論理と感性が両方大事だから。

 

以外かもしれないが、デザイナーに一番最初に求められるのはビジネスマンとしての能力。

何か考える時に完璧な前提で進める事は出来ない。

 

常に時間的、空間的、資金的、技術的な制約があるから、そことどう妥協して良い作品を作っていくかが勝負となる。優先順位をしっかり付けて、顧客と交渉して自分の方向性を定めてからが感性が必要な部分になってくる。そこからは先は制約の中で心いっぱい感性の中で遊んでいく、顧客を満足させていく。

この論理と感性の両方を使い分けられるのが良いデザイナーと言われる。

そして、指導していく立場としてはその感性の部分までも論理的に説明して、答え合わせを自ら出来るようにしていく義務を負っている。

 

それに一番適しているのが部署内では東林さんだった。

この東林さんはいつも仕事が的確で、クールで尊敬出来る上司でもあり指導者でもあった。

俺よりも5歳くらい上、175cmくらいの身長で痩せ型、顔はフットボールアワーの後藤似で一見するとキツそうな表情だった。

最初に入社した時は1年間東林さんの下で仕事をさせてもらい、毎日ダメ出しの連続だった。でも仕事の品質の事でキツイ事は言われるが性格等を批判された事は一度も無く、クールな表情の裏の優しさは感じられる良い先輩だった。

このフロンティアコンサルティングで働いていた時に良かったと思ったのは、従業員の人柄の良さだった。よくスタッフ同士で衝突をすることもあったが、それは業務への真剣さが生んだ結果であり決して人格を攻撃するような人はいなかった事。

 

話しを戻すと再び東林さんの基で指導が始まる事になった・・・ただベトナムに行けば良いと思っていたオレからすると試練が出てきて大変だなと思う気持ちしか無かった。

 

その時にもう一つ大変だったのは製図ソフトの習得だった。

 

当時会社で使っていたのは

 

 

という2つのソフトだった。

オフィスだとレイアウトプランと言われる、壁を区切って家具を並べる図面がまず大事で、これを作る目的では3Dオフィスデザイナーは非常に優秀だった。

 

ただし、そのソフトで複雑で詳細な図面は描けないなので、技術的な資料を作るのにVECTORWORKSを使っていた。このソフトは内装設計をするのには操作性も良く、センスの良い図面を仕上げる事が出来たので好きなソフトであった。

 

しかし、この日からは上記の2つのソフトの使用は禁止され、AUTOCADを使う事が命じられた。

 

理由としては上記2つのソフトは日本国内ではメジャーだが、世界的に見た時に一番使用者が多いのはAUTOCADでベトナムでもそうだったから。今の内に慣れて、ベトナムでの作図は全てAUTOCADで行う方針に決まった。

これは本当に大きなチェンジで、ITの世界だと違う言語でプログラミングしていくくらいの大変さだった。

 

作図だけだったらそこまでハードル高くないが、東林さんの場合は線の太さ、文字の大きさまで見られるから、コレはヤバいぞ!と打合せの終わりには感じていた。

 

そして、打合せの幕は閉じた。

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